ひとり思索にふける哲学ねずみのテオ

「誰も自分自身を置き去りにして逃げることはできない」

 ある晩思索を巡らせていた哲学ねずみのテオは、本の一行に見いだしたこの命題に疑問を抱いた。逃げるのは自分自身であり、置き去られ取り残されるものなどあるわけもない。自らを置き去りに逃走するということは道を見失うどころか途半ばに立つ自分自身を見失うことであり、それはすなわち逃走そのものの失敗を意味するのではないか。
 私はそんな失態はやらない。哲学ねずみのテオは傲慢不遜に呟いた。そしてそれを証明するために、自らが逃走を試みることにした。


 テオがまず移動手段に選んだのは林檎の箱だった。もちろん林檎の箱に脚か車輪が生えて自走するというわけではない。テオが忍び込んだ林檎の箱はコンテナに積み込まれ、貨物列車に搭載された。全ての積み荷がしっかりと固定された午後11時54分、テオを乗せた貨物列車は車輪を軋ませながら厳かに動き始めた。
 列車はドラゴンのように長く、囂々と音を立てて闇を裂く。その音とそぐわない甘酸っぱい林檎の香りに揉まれながらテオは呟いた。
 「貴方の息は林檎の香のようだ、と謡ったのは”雅歌”だったな」
その声は鉄輪の轟音に掻き消されて誰の耳にも届かない。よってテオの博識に敬服するものも誰もいない。テオはむしろそのことが満足だった。
 「私は他人の称賛の照り返しで生きるわけではない。誰が聴こうが聴くまいが、私の知識は私のものだ」
 ここにいるのは彼以外の何者でもなく、失ったものも置き去られたものもありはしない。このまま何処までも遁走することが可能ではないのか、テオは安堵し、油断するままずるずると眠りに落ちていった。


 その頃、ヴァイオリニストの冬也は旅先のホテルの部屋にいた。彼は古典的名作と呼ばれる二重奏のソナタを演奏するために遠い街に呼ばれ、今回が初対面となるピアニストと、数日前からリハーサルを重ねていた。
 どちらも一流と呼ばれる腕の持ち主のはずなのに、自分の演奏とピアニストのそれがどうしても噛み合わない。初対面の音楽家同志が試行錯誤するさまは、べつべつの人間が素手で描いた半円どうしを組み合わせて真円を描こうとするようなものだった。互いが完璧な弧を描くだけではうまくいかない。それぞれが独立し、同時にそれぞれに依存しあい調和することが必要だった。
 うまくいくときはそうじゃない。冬也は考える。故郷の街でよく共演するピアニスト、彼とやるときは違う。互いが独立した円を描き、それでいながら衝突することはない。二つの音色が重なりあうほどに、微妙なブレや濃淡のコントラストが生まれ、はっとするような効果となって立ち現れる。しかし、それがうまくいくからといって、今度の共演者に同じものを求めても意味がないのはわかっていた。
 冬也は冷たく張りつめたベッドに身体を投げ出す。長い脚の先は黒光りする革靴で窮屈に固められている。これが悪いのかな、とぼんやり考える。立ちっぱなしで演奏する間、ずっと爪先に違和感があった。3時間以上続いたリハーサルが終わる頃には、違和感はくっきりと輪郭を持った痛みに変わっていた。
 「このままじゃ弾けない」
 なかば衝動的に呟いて冬也は立ち上がる。自分でも子供じみていると思いながらも、いちど意識に留めてしまうと切り替えることができなくなる。
 ホテルの地下に靴の修理屋があったと思い出す。一晩預けて、爪先に木型を挿れて押し広げてもらおう。ついでにステージに間に合うように磨き上げてもらえばいい。それで少しは事態はましになるに違いない。足から靴を行儀悪く脱ぎ落として、冬也は立ち上がる。部屋の隅のクロゼットを開け、軽くしなやかなスニーカーに履き替える。このままステージに出ても無礼と言われなければどんなに楽だろう。
 脱いだ靴を片手に提げ、少し迷ってから、ヴァイオリンのケースを手に取る。厳めしい筺型のケースに納めた楽器に比べて、革靴はそのままぶら下げただけ。たいした差別待遇だが、それでもまあ、かまいはしない。
 たとえ短いあいだ部屋を離れるだけでも、ヴァイオリンは自らの分身のようで、手から離すことができなかった。結局だれも自分自身を置き去りにして逃げることなどできはしないのだと、冬也は見るものもないのに自嘲気味に苦笑する。
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